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東海道四谷怪談~歌舞伎座7月公演

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「東海道四谷怪談」というと去年亡くなった勘三郎のお岩さんを思い出します。中り狂言ゆえ何度見たか知れないけれど、勘三郎のお岩さんは格別だった。
照明も極限まで暗くし、その暗い舞台で毒を飲まされて変わる顔の恐ろしさ、梳いた髪から滴る血の怖さ・・・
同時に哀れなお岩の怨念の凄まじさもひとしをだった。

7月歌舞伎座夜の部「東海道四谷怪談」(鶴屋南北作 1825初演)は、市川染五郎の民谷伊右衛門、尾上菊之助のお岩、尾上松緑の直助権兵衛という若手の舞台で、菊之助はお岩のほかにお決まりの佐藤与茂七、小仏小平の3役を演じて申し分なかったが、あまり怖いお岩さんではなかった。

勘三郎と菊之助の怖さの違いは、勘三郎がリアルなメイクだったのに対して、菊之助は作り物っぽいメイクだったからだろうか?
髪が抜けたあとの額の血糊も真っ赤なペンキのようで、照明もさして暗くなければ、滑稽といってもいい。
やせ衰えたあばら骨のメイクも、勘三郎はリアルで本当に痩せて見えたけど、菊之助は漫画のように描かれていた。
(客席の位置の近遠にもよるでしょう)

菊之助の力量は十分でまったく不足はない、それだけに勘三郎のお手本があるというのに? と、ちょっといぶかしんだ。

歌舞伎は不思議なところがあって、どんなささいな所作も様式化され高い完成度である反面、たとえば小道具の赤ん坊などがとても粗略に出来ている。そこで観客はこれはあくまで芝居なのだと(判っているが)意識することになる。

つまり「東海道四谷怪談」も、その演出の完成度に反して、本来滑稽味のある化粧だったのではないか?
親を殺され、夫に騙され、美貌を失い、無念と怨念を抱いて死んでゆくお岩がリアルであってはならないからだ。

それは演じる者も観る者も恐怖や怨嗟に囚われることがないように、様式である型は完璧に、しかしあくまでも芝居であるということを忘れぬよう、メイクも抜け道のひとつであったのではないか? ことにこの演目においてはそれが重要なのではないか?

古い芝居絵を見てもどちらかと言えば滑稽に描かれているものが多いようにおもう。メイクがリアルになったのは映画が登場した近代以降のことと推測する。 江戸の人々はリアルな化粧がタブーであると知っていたでしょう。

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葛飾北斎 百物語 お岩さん

「東海道四谷怪談」は「仮名手本忠臣蔵」と表裏の関係にあって同じ〈世界〉を持ち、初演時は場面が交互に上演されたという。さすがにそれはしなくていいけれど深川三角屋敷の場を端折るのはやめてほしい。あの場があって断然〈世界〉が深くなり背景も知れるからだ。

30年よりもっと前に前進座が歌舞伎座で上演したときに一度だけ見たきりだけど、三角屋敷の場で、盥から出てくる白い手は(メイクに頼らないのに)本当に怖かった。


東海道四谷怪談 あらすじ 文化デジタルライブラリー
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc15/sakuhin/p8/a.html



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勘三郎さん

例えて言えば「飛び出す舞台」だった。

たとえ歌舞伎座の大向こうであっても鼓動が伝わるようだった。
コクーン歌舞伎や平成中村座にあっては、舞台と客席の区別はもとより外界との区別さえなかった。
そこには役者と観客が混然となる江戸の芝居小屋が再現された。

いつも全力で疾走していたから、実は随分前から心配になることもあったんです。

ほんとうに残念で悲しい。


祝 三谷文楽

橋下サンにも見せたかった!

文楽は江戸時代に人気を極め、文楽で流行ったものを歌舞伎でも上演したため、現在も文楽と歌舞伎で多くの同じ演目を観ることができる。
そこで気がつくのは文楽のほうが古いかたちを残しているということだ。

歌舞伎は役者が自分の個性を活かしたり、あるいは欠点を補うために、型や台詞回しや衣装を工夫し、それが当たれば一門の役者が踏襲するということがあり、粋であることが役者の身上であれば時流に敏感で流動的な側面がある。

それゆえか歌舞伎には新作歌舞伎というカテゴリーがあって、近年は蜷川幸雄、野田秀樹、串田和美、宮藤官九郎などの新劇の演出家による歌舞伎も上演されて、歌舞伎でありながら現代的なテンポでギャグまで楽しめる。

文楽には人形ゆえのカタルシスがあって、とくに女形の人形の頭(かしら)や動きの美しさは格別で、浄瑠璃も味わい深い。
しかし保存・継承といった傾向が強く、ひたすらに台本のとおりに上演するといった印象があったのは、文楽が国立劇場や文楽協会のもとにあるからでしょう。

だから東京は渋谷のパルコ劇場で文楽の新作(?)が見られるとはおもわなかった。
三谷幸喜さんのお芝居は東京サンシャインボーイズ時代から時々拝見しているけど、これからは文楽がトレンドになるかも知れない・・・!?

外題からして大いに笑わせる。
其礼成心中 ―それなりしんじゅう― 
http://www.parco-play.com/web/page/information/sorenarishinju/sorenarishinju.pdf
今日22日で終わってしまったが、こうした若い太夫や人形の使い手が活躍できる場があることはとてもいい。
浄瑠璃も現代語(大阪弁)で、もちろんギャグも満載。

はじまりは人形劇(上)脚本家・演出家 三谷幸喜 文楽は何でもできる
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120619/ent12061903570001-n1.htm




歌舞伎の型にみる戦争

先月、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが人間国宝に認定された。

10代だった私が歌舞伎を観るようになったのも、この比類ない美しい女形の存在があったからだった。
可憐な赤姫、粋な芸者、仇な毒婦、儚い夢二の女、妖しい鏡花の上臈・・・・たくさんの舞台を見せていただいた。

『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)は伊達藩のお家騒動を題材にした時代物で、幼い主君を政敵から護る乳母政岡(まさおか)の役は立女形の大役のひとつである。
この役を玉三郎さんが歌舞伎座で初演したとき ― 女形の最高峰である故市川歌右衛門の監修であった ― 見事に演じて、茶道具で飯を炊く長丁場の「飯炊き」の場面も緊張を保って飽きることがなく、新境地を開いたことを嬉しくおもったことを覚えている。

そのときは気が付かなかったが、その後気に懸かったことがあるのでメモしておこうとおもう。

歌舞伎の型にみる戦争
芸談で戦時中は戦地に慰問にいったという話を聞きます。歌手、落語家、新劇や宝塚など。歌舞伎も例外ではなかったでしょう。戦地ではどんな出し物を上演したのだろうか? 
2004年11月大阪松竹座で『伽羅先代萩』を観たとき、バンザイと敬礼の型があることに気が付いた。

乳母政岡(坂東玉三郎)は幼君鶴千代の毒殺を怖れて自ら茶釜で飯を炊き、さらに息子の千松に毒見をさせ、もしものときは身代わりになるようにと日ごろから言い聞かせている。
そんな折、お家乗っ取りを企む一味が菓子折りをもって訪れる。
官僚夫人からの見舞いの菓子といって鶴千代の前に出されては断る術がない。そこへ千松が走り出て菓子折りを蹴飛ばすや一口ほおぼる。たちまち千松が苦しむと毒が入っていたことを知られないよう千松は短刀でなぶり殺されてしまう。
政岡は幼君を庇って顔色ひとつ変えない。それを見た一味は政岡が千松と鶴千代を取り替えて育てたのだろうと思い込んで帰っていく。

毅然としていた政岡だったが、ひとり残されると千松の遺骸を抱きかかえ愁嘆にくれる。
「よう死んでくれた でかしゃった でかしゃった」と、涙ながらもお家に忠を尽くしたことを褒め称えるのであるが、このとき片膝を立て、バンザイのように両手を頭の左右に、手の平を上向きに挙げてしばし静止する。
舞伎の美意識では身分のある女性が腕を高く、しかも両方を同時に挙げるということはありえない。つまり意図的にバンザイの形をつくっているのであり、それは戦時下で付け加えられた型であると考える。

このとき『伽羅先代萩』の「お家」は「国」となり、千松は命を捨てて戦う兵隊にほかならない。
そのあとでさらに右手を、手の平を下向きに、額のところまで挙げて敬礼のような形をつくる。いずれも一連の愁嘆場の流れとは不自然な動きで強調されているように見えた。
忠臣として主君を護る正岡と千松が、戦時下で軍事的に歓迎されたであろうことは容易に想像できる。

その後1~2年して、歌舞伎座で何度目かの玉三郎の政岡を観たときは最初から注意していたが、やはりバンザイと敬礼の型を認めた。
一時の翼賛的な型であれば、戦後はもとのように上演すればいいとおもうが(実際そういう上演もあるでしょう)、そのまま戦時下の型が踏襲されているのは、この狂言がいかに当時数多く上演されたかという証であり、また英霊たちを悼んでのことだろうか。

お家(=国)のために命を落とした我が子に対し、表向きは「でかしゃった」といって賛美しても、それが本心でないことは、主君の乳母ではなく千松の母親としての政岡が、激しい慟哭で表現している。




目に見えない存在見える存在 対極の事象

歌舞伎を見始めた10代の頃(三十数年前)、3代目市川猿之助のケレンたっぷりの舞台にどんなに興奮したか知れない。

澤瀉屋は進取の気性で、観客を喜ばせるために、あらゆるエネルギーを注いで縦横無尽に舞台を疾走していた。(当時宙乗りをするのは猿之助だけだった)
2003年に脳梗塞でたおれてからは指導に専念して舞台には立っていないが、今月、2代目猿翁襲名で口上を述べた。

身体は不自由で言葉も満足ではなく、かつての3代目の舞台を知る者には痛々しくつらい姿であった。。。が、見得を切るその眼光は鋭くて、力が籠っていた。
かつて観客を魅了し興奮させた、おなじ光りがその眼にはあって、存在するすべてを見ようとするかのように劇場を見回した。

「目に見えない存在見える存在、あらゆる存在のおかげ・・・」とは、
市川亀治郎あらため4代目猿之助が襲名口上で述べた言葉。
「義経千本桜 四の切」の狐忠信はかつての3代目を彷彿とさせて端正でエネルギッシュだ。

このハレの祝典の場からわずか4~5キロのところで再稼動反対のデモがおこなわれる。
フクシマ以来、すべてのものは対極の事象のあいだに存在しているようだとおもう。



新橋演舞場「椿説弓張月」

「椿説弓張月 ちんせつゆみはりづき」は、曲亭馬琴の読本を三島由紀夫が歌舞伎に脚色したもので昭和44年11月に国立劇場で初演された。

昭和44年11月というのは三島由紀夫が割腹自殺をするちょうど1年前で、この歌舞伎の脚色にも三島由紀夫の美意識がみてとれる。

主人公である源為朝は保元の乱(1156年)の中心的人物で、身の丈七尺(2m10cm)ちかいという美丈夫で弓の名手である。九州を平定したので鎮西八郎為朝ともいわれる。
保元の乱後捕えられ伊豆大島に流罪となるも、朝廷にはむかい多勢の軍勢に攻められ我が子を殺してから切腹した。
齢32才、歴史上始めての切腹といわれる。
(伊豆大島から逃れて琉球の祖となったという伝説もあり、馬琴はこの説を採っている)

まさに主人公は武士道に傾倒した三島由紀夫の興味を引くに十分な人物といえる。
この源為朝を市川染五郎がつとめているが、勇猛な武士でありながら品があってとても美しい。

三島脚色の特徴が端的に窺えるのは、中の巻で、白縫姫の琴の音にあわせ女中たちが雪の庭で、裸にした間者に竹釘を打ち込み殺害するくだり。
白い雪、妙やかな琴の音、美しい女中たち、裸の男、噴出する血潮・・・。
どんな残酷な場面も様式美にする歌舞伎だが、それをよく知っている三島は様式美を逆手にとって残虐性を強調したようだ。 
数ある歌舞伎の殺害場面でももっとも倒錯した特異な演出でしょう。

また、上の巻で源為朝が追っ手により深手をおった我が子を介錯する場面は、我が子にも武士の礼を尽くす武士道の美学とみることもできる。(親としての嘆きは「伽羅先代萩」の政岡を連想した・・・胸に迫る場面)

「椿説弓張月」はあらゆる歌舞伎の技法を駆使した大スペクタクルであり、さまざまな歌舞伎の“世界”が反映されている。
たとえば上の巻は「俊寛」。中の巻は「阿古屋」。下の巻は「奥州安達ケ原」・・・などなど、壮大なスケールで娯楽的要素もふんだんにあり、最後は琉球王朝の危機を救って幕となる。

常の演目であるならば一転賑々しく晴れやかに幕となるのだが、白馬に乗って花道を去る染五郎の表情は気迫のなかにも悲しみが漂っているようだ。
(白馬は奈落からせりあがったので、下の巻の源為朝はすでにこの世の人ではないことを暗示しているのかも知れない)

その悲しみの表情は「椿説弓張月」が源為朝という悲運の武将とその子への追悼であり、さらに歌舞伎の舞台そのものが割腹自殺した三島由紀夫へ捧げられた祭壇であることを、この人(染五郎)は判っているからであるようにみえる。

Wikipedia 椿説弓張月

ことしの桜 2 (2011/05/02)

《追記》
イヤホンガイドで三島由紀夫の生前の声が聞けたそうだ。知らなかった。残念。
筋書きも読まず予備知識もなく観た感想なので(しかもだいぶ居眠りもした)、的外れな部分もあるかとおもいます。


ピナ・バウシュ「踊り続けるいのち」

わずかな回数しかみていないけど、ピナ・バウシュが芸術監督をつとめていたヴッパタール舞踊団の来日公演のステージはいつも感動した。

国籍はもちろん、年齢(かなり幅がひろい)、体格や身長もざまざまなダンサーたち。。。(それだけでもユニークで個性的な集団であることがわかる)

ソロを踊るダンサーは感情のままに自由に踊っているように見える。しかしそれが長い物語の繰り返しであり、緻密な表現のことごとくが再生されていることに観客が気付くまですこし時間がかかる。

男女のダンサーが入り混じって無秩序にみえる動きも、やがて一人一人がそれぞれの物語を忠実に繰り返していることがわかる。

ピナ・バウシュの演出は、繰り返すことに意味があるようだとは、なんとなく感じていたけど、その理由を考えたことはなかった。

ピナ「踊り続けるいのち」
http://pina.gaga.ne.jp/
ダンスは生きること=日々の繰り返しであり、そして生まれ変わっても踊り続ける命の輪廻(繰り返し)だから?

ダンサーにとって踊りは身体と感情の記憶を再生しているようだ。
あらためてピナ・バウシュのダンスに感動した映画。


ヴッパタール舞踊団のステージでいつも感嘆したのは、男性が女性をリフトするときに重力をまったく感じさせないことだった。

たとえば男性が女性のスカートに片手をいれて、そのままスッとリフトしてしまう。女性のダンサーは絹を纏った空気のよう・・・
その表現する情景も含め、どのバレエ団よりいちばん美しいとおもっている。




K-バレエカンパニー シンデレラ

バロックバレエをみるとバレエのルーツがフォークダンスであることがわかる。
フォークダンスの単純なステップが装飾され、ちょっとアクロバティックになっているけど、バロックバレエはまだ牧歌的でラブリーだ。

「王は踊る」という映画があって、ルイ14世が宮廷で踊っているダンスは、男性的でだいぶバレエ風だった。

19世紀のフランスではオペラとバレエを交互に上演するスタイルが流行し、日本でもその上演スタイルを復活した公演をみたことがあります。
映画「オペラ座の怪人」でも、オペラ座の舞台でオペラとバレエが上演されていた。

フランスで生まれたバレエはロシアで現代のスタイルに完成する。
漫画「アラベスク」(山岸涼子作)には、ロシアにとってバレエは外貨獲得の重要な手段である、といったようなニュアンスのくだりがあったような・・・

20世紀になるとバレエは振り付け師や演出家により表現が格段に多様化する。
モーリス・ベジャール振り付けの日本公演が話題になった時期もあったけど「ボレロ」以外は面白いとおもわない。

イリ・キリアン(ネザーランド・ダンス・シアター)の、ヴィバルディの「調和の霊感」の演奏で、男女一対で踊るダンスがドラマチックで印象に残っている。だけどキリアンはチケット入手が困難で一度しかみたことがない。

ウィリアム・フォーサイス(フランクフルトバレエ団)の群舞も好きで、一時は来日するたびに公演にいっていたことも・・・

K-バレエカンパニー『シンデレラ』
演出・振り付け:熊川哲也 曲:プロコフィエフ

は、クラッシックバレエの様式でありながら、随所にオリジナルな振りと解釈が(素人でよくわからないなりにも)ふんだんにあるようにおもいます。

シンデレラが仙女の魔法で変身し、妖精たちに囲まれてガラスの馬車でお城に向かうシーンの展開と演出は、ほんとうにすばらしくて感動的で美しい! 

まさにお伽の世界の魔法を目の当たりにしたよう。この公演のいちばんの見所でしょう。

K-バレエカンパニー
http://k-ballet.co.jp/performances/2012-cinderella



日本舞踊公演

東京芸術大学卒業生のユニットによる日本舞踊公演を観た。
これからの邦楽と日本舞踊を担ってゆく若い人たち、演奏も舞踊も素晴らしい。

歌舞伎の所作の様式美は、日本舞踊が基礎になっていることをあらためておもう。
新作舞踊はコンテンポラリーバレエにも等しい表現力と動き。
長唄、琴、三味線、鼓、笛、尺八・・・古典もアレンジも自由自在。
みんなみんな頑張っている。

一方で、現在の深刻なフクシマの状態と汚染。
彼らが未来に活躍するステージの、失なわれることの無いように祈った。




ことしの桜 2

青森で桜が満開と、ニュースで見ました。
東北、桜、というと義経伝説を連想します。
義経の一行が平泉から北上し、北海道からモンゴルにわたったという伝説です。
東北の人たちは客人(まろうど)としての義経一行をもてなし、その伝説を代々子孫に伝えてきました。

ちょうど一年前、歌舞伎の義経像について書いたものがあります。
震災からあとは歌舞伎をたのしむ気持ちになれません。
震災で亡くなった人々に捧げます。

「義経千本桜」における義経考-大向こうより-
2010年4月をもって、歌舞伎座が建替えのため一時その幕を閉じた。歌舞伎座の魅力は重厚な外観の大劇場でありながら“小屋”の本質を持っていたことであるとおもう。
大向こうでは弁当の箸をつかっていた老人がおもむろに声を掛けたり、中り狂言のときの一幕見は押し合い圧し合いで、江戸庶民もかくやとおもう熱気があった。
大向こうや一幕見から花道は見えない。が、承知のことである。
役者と同じ空間にいる喜び、一緒に芝居をつくっているといった空気が、大向こうにはあった(一階席で声を掛けるのはタブーであるらしい)。

歌舞伎座は商業劇場ゆえ、国立劇場(復活・継承を目的とする)とはちがい人気狂言を頻繁に上演する傾向にあった。
なかでも「義経千本桜」「勧進帳」「一谷嫩軍記」「船弁慶」など義経の登場するものは多い。
とくに人気のたかい「義経千本桜」(1747年初演)は、外題に義経の名が掲げられているので、どんなに義経が活躍するかとおもうが、さにあらず。

「義経千本桜」において義経がはなばなしく活躍する場面はない。
平家物語では超人的な活躍をし、日本人に絶大な人気を誇る義経が、歌舞伎狂言においてはなんのはたらきもせず、傍観者的立場なのである。
客席を沸かせるのは、狐忠信のケレンや、碇とともに海に身を沈める知盛、裏切るとみせて妻子をも犠牲にする権太などの登場人物なのだ。
「勧進帳」においてもしかり。観客の感動は弁慶の機知や、それと知って見逃す富樫への共感にある。義経はいわばドラマのためのファクターでしかないといってもよい。
つねづね疑問におもっていた、歌舞伎狂言において義経は何故かくも魅力がないのか?

義経の最後は、兄頼朝により身を寄せていた平泉を襲われ、衣川で自害したことになっている。
しかし人々にとって義経はヒーローである。無念のうちに死んだ義経を、慰めたい弔いたいという気持ちが、つよく歌舞伎狂言に反映されているのではないか。
そうおもうと舞台の上の義経は現世の人ではないように見える。静御前と寄り添う姿は、この世では離れ離れに儚くなった二人を、再び(舞台の上で)添わせたいという庶民の願いなのではないだろうか。
道行初音旅の段の美しさ(ここでは狐忠信が義経の代わりを果たす)、舞台いっぱいに配された桜は義経と静御前への追悼にちがいない。
 
桜は吉野、この狂言の舞台である。しかし浄瑠璃は「桜はまだし枝々の梢さみしき初春の空」となっていて本当は桜はまだ咲いていない時期なのだ。千本桜というのは心のなかの風景、つまり手向けの花なのだとおもう。
吉野地方の古い慣習では、遺体を一時桜のもとに仮埋葬したそうである。そのとき桜は卒塔婆と同じ意味を持つだろう。千本桜=千本の卒塔婆。そこに人々の義経への追慕のほどを見るおもいがする。
民衆をしてすでに義経は神格化されていたと考えれば納得できる。

傍観者的立場と書いたが、実は全登場人物の精神、行動を統べる存在が義経なのである。姿はなくとも通奏低音のように、狂言の始めから終わりまで、すべての登場人物を支配しているのである。
だから義経自身は舞台の上で活躍する必要がないのである。


参考資料 「義経千本桜」岩波書店

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こばんとたわし

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