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ミステリー

孝明天皇は岩倉具視と共謀した伊藤博文によって弑殺された、という説を支持している。
世継ぎの睦人親王も暗殺され、代わりに大室寅之助が明治天皇になったということを鬼塚英昭氏ほかの作家が書いている。

大室寅之助明治天皇説は写真、書体など物的証拠があり、信憑性があるとおもう。
だけど睦人親王暗殺説については決定的な資料はなく、大室寅之助が明治天皇にすり替わったことによる結論のようである。
鬼塚英昭氏の著書にある「ある日睦仁親王の母親のもとに人型の包みが届いた」という記述の背景が唯一の手掛かりであるようだ。
(例によって本を探し出すのが困難なので、記憶で書いてます)

私の推理は、睦仁親王は暗殺されずに生かされていたというもの。

睦仁親王の生母は中山慶子(やすこ)。外祖父の中山忠能(ただやす)は公家で岩倉具視と同じ討幕派であり、皇女和宮の降嫁を一緒に画策していた仲。
明治政府の議定として明治天皇とともに上京し、のちに侯爵の位を受けている。

西園寺公望。公家で睦仁親王と年が近いことから遊び相手をつとめていた。
明治政府では伊藤博文内閣の要職にあり、のちに総理大臣、元老。
(鬼塚英昭氏によれば昭和天皇の父親)

中山忠能と西園寺公望は、大室寅之助のすり替えに協力したのではないだろうか。
しかし睦仁親王を殺めてしまっては協力を得るのは難しい。
なにか密約が交わされたと考える。

明治天皇(大室寅之助)は皇子が生まれると、中山忠能を養育係りとして中山邸に里子に出している。
すなわち大正天皇である。

明治天皇は5人の男子をもうけたが大正天皇をのぞいては生れてほどなく亡くなっている。
そのただ一人の男子皇子を中山忠能に預けているのだ。
(他の男子皇子がみな夭折しているのも気になる)

中山邸にはやはり睦仁親王が匿われていただろう。
そして親王には子供もあったかもしれない。

明治維新の背後にはフルベッキやグラバーなどの存在があり、岩倉具視や伊藤博文、坂本竜馬などが実行した。
明治天皇の明治政府は傀儡である。

しかし密かに皇統はもどされていたのではないか?
大正天皇は実はたいへん聡明で活発だったといいます。


女性宮家問題や、かの国のあの人が亡くなって、その後継者の母親、またその母の出自などが巷でささやかれるので、まったく関係はないのだけど、つねづね気になっていたお粗末な推理を披露しました。あくまでも推理なのであしからず。


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